生まれ育った環境を生かし自分らしく人生を歩むには、目の前に起こるいろんなものをキャッチして活かすことが必要です。
キャッチするために感受性や直感力をどのように使い、行動して自分らしい人生をつくってきたのか。
はじめ音楽家として出発し、感受性、直観力を生かして、現在美容家として活躍する荻原潮絵さんにお話を伺いました。
(2018年9月ヴェッキオ:オーダーの前で)
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◆◆◆<子供時代から音楽家になるまで>◆◆◆
門間:荻原潮絵さんは1957年生まれで60才。
現在、美容サロン及び美容と健康関連のビジネスの傍、
カンボジアを通してビジネスをする女性支援をなさっています。
その他、美と健康 ビジネスに関わる
セミナーなどの主宰されています。
荻原:おかげさまで昨年還暦を過ぎて、あらためて限られた命を充実して
皆さんのお役にたてたり、自身も充実した人生を送りたいと
強く感じるようになりました。
それでは子供時代のお話から御願いします。
幼い頃から「一芸を身に付けさせたい」という母親の強い願いで
ピアノの英才教育を初め
お琴 日本舞踊 絵画など
沢山の習い事を取りむ幼少期を過ごしました。
そのため成人になったとき
自然に自分の得意な事を
仕事に選び
ピアノと電子オルガンの演奏者
と講師の仕事をすることにいたしました。
プロダクションに所属して
演奏の仕事をするかたらわら
講師の仕事も
大人から子供まで80人くらい生徒がいました。
電子オルガンが出た頃に、いいきっかけだと習得したら、
あっという間に引きがいっぱい来て
仕事は超多忙となりました。
事業は時流が大事と言います。
それを最初に体験したのは、振り返ればこの時でした。
ですので、年収は当時の20代~30代の女性としては充分過ぎるくらいありました。
しかし仕事が忙し過ぎて自由な時間がない生活を経験することになりました。
◆◆◆<結婚と離婚にて、人生のターニングポイントを迎える>◆◆◆
その後8才年下の
歯科医師と出会い結婚しました。
音楽や絵が好きなので、その分野の人と思っていたのですが、
歯科医を超えるクリエイティブな才能に引かれました。
とてもピュアで純粋な人でもありました。
でも、残念ながら結婚後の未来像がだんだんとずれてしまいました。
素敵な人だしとても悩みましたが、離婚する方が自分らしい、と決断しました。
35才で結婚し
36才双子の男子出産したあと
37才で離婚しました。
双子の子供が僅か1才の時です。
この時ばかりは
何時も前向きに物事を考えようとしている私も
不安も持ちました。
しかも、音楽家としての仕事に熱意がなくなっていまいた。
十分すぎる収入をいただきましたが、結婚を機に続ける気持ちがないことに気づいてしまったのです。
しかし、子供と3人で贅沢しなければ生きていける、
モヤモヤしながら生きるよりも、前を向いて、
【子供を健康に、そして心の綺麗な優しい世の中の為になるよう育てるのが1番大切】と思いました。
どんな仕事でもやれる、
いざとなったら得意の料理を生かしてお手伝いさんになろう!
と決断し、双子を1人で育てる大決心を致しました。
この時、結婚、そして、離婚しなければ今とは全く違う人生だったと思います。
この時の決断が人生のターニングポイントになりました。
幸いなことに母が一緒に暮らしてくれたので、
子供が5歳までは子供中心の生活を存分に過ごすことができました。
5歳までたっぷり愛情を注ぐことが大事と考えていたので、本当にありがたいことでした。
今振り返ってもこの5年間、子供と向き合いきれたと心から思っています。
その後、友人から声をかけていただいて、
シルクショップの経営に関わることになりました。
実は、子供時代から友達の髪の毛をやってあげたり洋服を選んであげるのが日常茶飯事でした。
今考えると美容家になる源は子供時代に遡ることができるのかもしれません。
音楽家時代には、ファッションをたくさんみて、服も本当にたくさん買いました。
それを知っていた香港でシルクショップを経営する友人の手伝いで、
広尾の新しいお店に乳母車を押して手伝いに行ったのが、
事業に携わる最初になりました。
その後、香港返還の影響で、シルクショップが閉じることになり、
模索しているころ、
音楽家時代からの友人たちの声かけで、ダンスパーティを企画しました。
400人規模のパーティは大成功して、大手雑誌にも取り上げられるほど評判になりました。
そこから、銀座でみんなが集まる楽しいお店をやろうと企画が立ち上がり、銀座にお店を出しました。
最初に来たがっている人たちがいるのがわかっていて出したお店です。
お店は大変繁盛したのですが、子供達と生活時間がずれることに気がつき悩むようになります。
そんな時、隣からの貰い火でお店が火事になり閉じることになりました。
◆◆◆<自らの感動体験から美容家へ>◆◆◆
子供が生まれた頃から健康で心優しい子供を育てたいという強い気持ちから
子育てを通して
食生活や育児法を徹底的に勉強をしておりました。
火事でお店を閉じた頃は
マクロビオテックという食事療法を学んで子供とともに私自身も実戦しておりましたので
食事を作るときは
化学調味料も使わず
電子レンジも使わず
自然農法の野菜を頂き
薬も飲まない出来る限りナチュラルな生活でした。
しかし身体はとても元気なのに
何故か肌だけは何時も赤くそして痒くて辛いトラブルの多い敏感肌だったんです。
何故だろう?
どうしたら私のお肌のトラブルは治るのだろう?と
あらゆる美容法を実戦し試してたとき今の美容メソッドに出会いました。
そしてその美容メソッドを実戦すると
今まで何十年もお肌トラブルで悩んでいたことが嘘みたいに
あっという間3ヶ月で信じられないくらい綺麗になったのです。
自分でも涙が出てしまう程嬉しくてお肌で悩んでいる知人友人を
お客様としてたくさん紹介させて頂いてました。
沢山のお客様をご紹介させて頂いているうちに
お肌のトラブルで辛い思いを一番経験している私こそが
正しいお肌の扱いをお伝えしたい
そして沢山の人に
知ってもらいたい
という思いがとても大きくなり
お店を閉じたあと、今の美容の仕事をスタートしたのです。
丁度50歳の時でした。
その後双子は沢山の人達に優しさや
応援を頂きながらすくすく育ち
只今24才です。心から感謝です。
今思えばこの時の私の
子育てに対する決断をしたときこそが人生最大のターニングポイントとなりました。
その後の沢山の学びから、人生感の大きな変化とともに
どんな時でもピンチがチャンスなんだと言う大きな自信を持つことができました。
好きなことプラス未来があることを大事にすること、
これから必要とされること、これから発展していくであろうことをしないと形にはならないのだなと、経験から学びました。
そして、感性と理性との組み合わせのバランスが大事と感じます。
今は様々な経験や出会いを通して
心と身体と経済の健康をテーマに仕事をして日々精進しています。
現在、美容サロン及び
美容と健康関連のビジネス
カンボジアを通してビジネスをする女性支援
美と健康 ビジネスに関わるセミナーなどの主宰をしています。
今後作りたい未来は
私と同じように1人だちをしたり
経済的に不安定と感じる皆様が
生き甲斐と楽しさが持てるビジネス環境の提供をして参りたいと思ってるの
で只今事業拡張前進中です。
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荻原潮絵さんのオーダーについてはこちら
仲間と共に業績をあげるイメージの絵を:荻原潮絵さまインタビュー
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