体内のこだま|自分の道を歩みたい画家から生まれたちょっと怖い絵

/ カテゴリー: 対話できる絵画のもとになる絵たち
門間由佳作品2002年:銀座Oギャラリー体内のこだまメイン

アーティストなのに、2001年まで、私は今一歩、自分のやりたいことができませんでした。

美大を卒業以来、絵を描き続けてきたけれど、「自分の絵に対する姿勢は変なんじゃないか」と密かに思っていたからです。でも、今は「かなり少数派なだけでおかしくない」とわかっています。少数派だからこそ、オリジナリティあふれる貢献をすることができると感じています。でも、当時はどこかモヤモヤした暗い思いを抱えていました。

だから、クライアントが自分の個性と周囲とのぶつかり合いに悩んでいたり、志をなかなか理解してもらえなかったり、心の奥に深い孤独を抱えている時、深く共感します。そして、大丈夫、頑張って、と、応援をカタチにするために、筆を走らせます。「人にはそれぞれの道がある。その道をまっすぐ歩いていけばいい」と、自分の経験から確信しているからです。

暗中模索の頃は、自分は欠陥人間かも、と思うこともありました。多くの画家は、コンクールを目指すことや、賞を励みに描きます。実際、美大を卒業した友人や先輩たちがそれらを目指して努力していました。私も定石通りにコンクールなどに応募して、入選することもありましたが、「よし、ガンガン応募して賞を取ろう!」と気持ちが沸き立つことはありませんでした。

私がほんとうに興味を持っていたのは、自分の内面を見つめてそれを絵に表すこと。それを深めるためにただ、毎日まいにち描くことでした。絵を描くために昼間別の仕事をする、ダブルワークの生活で、深夜から筆をとることもしばしばありました。でも、自分と向かい合って新たな絵の世界が広がってくるとワクワクしたものです。20代には、明け方まで描いた後、朝から別に仕事に行くこともありました。

そんな風でしたから、人付き合いよりも、静かに絵を描く時間優先です。すると、「家に人が来ている時に、愛想がない。なんてわがままだ」と言われたこともありました。そう言われて傷つき、自分は【不適合な人】かもしれないと後ろめたく感じたこともありました。

「世界中で自分一人だけがこんな苦しさを抱えているのかな」と思うこともありました。

さらに困ったことに、美大卒業以来、自分の感覚を追いかけてきた中で育ててきた心の声は、「違うよ」と私に呼びかけてきました。外の声と内の声。正反対の呼びかけに、自分が裂けてしまいそうな時期もありました。

しかし、探せば、いろんなところに仲間がいるものです。最初に私が仲間を発見したのは、本の中でした。2001年の頃です。一旦仲間が見つかると、次々に見つかっていきました。

芸術家。研究者。哲学者。経営者。

彼らは皆、自分の道を創りながら生きていました。そして、道の創り方には、分野を超えた共通点がありました。それは、【自分の感覚を信じて、その感覚を元に、徹底的に考え抜く】こと。

例えば、哲学者ショウペンハウエルは「もともとただ自分の抱く基本的思想にのみ真理と生命が宿る」といっています。

この頃、なぜか「筆を走らせるのが怖い」という気持ちが込み上げてきたものです。実際に、出来上がった絵も、どこか怖さが漂った作品になりました。

でも、作品が出来上がった後、不思議と「私も自分の感覚にかけて人生を歩みたい」と、決まったのです。

それが、画家としてオーダー絵画を描く道を創ってくれました。そして、その道は、心から生きている充実感を味わわせてくれました。楽しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、すべてが意味あるものだと感じさせてくれました。

だから私は、描くご縁を得た人がその人の道をまっすぐ歩めるように、祈りを捧げながら描くのです。

人にはそれぞれの道がある。その道をまっすぐ歩いていけばいい。
自分を信じて徹底的に考え抜いていい。全てはそこから始まる、と。

門間由佳作品2002年:銀座Oギャラリー体内のこだまメイン

関連記事