流域|自分の人生の岸辺にたどり着くには自分の泳ぎを考えることだ

/ カテゴリー: 対話できる絵画のもとになる絵たち

1997年の頃の実体験と作品をお伝えします。

苦しさを抱えた方に役に経つかもしれないと思うからです。または、身近にそういう人がいるとか、苦しい環境になった時に、思い出してもらえたらと思います。

昔話ですが、単なる昔話ではありません。記録があるからです。実はこの頃から、制作メモをつけていました。そこから、1997年夏は、落ち込むことが多かったのがわかります。8月5日は、「スケッチって何を描くの?今スケッチする対象なんてない。考えつかない、停滞」と、メモに書いてあります。ネガティブですね。

でも、たとえネガティブな言葉でも、書き出すといいのです。本当に素直な気持ちをつづると、書き出す言葉が変わってきます。8月11日のメモは、「半年あまり、いかに自分が締め切りに追われ、緊張してプレッシャーを感じ続けながら暮らしてきたのか、今日、しみじみ思い知った」と、気づきが生まれています。

今、これは書く瞑想【ジャーナリング】と言われています。書き出すことで、【思考力がアップデートされる】と、経営者のためのセミナーもあります。

実際、私もわずか1週間で内容が変わってきています。

12日には、「忙しさと苦しさに、希望や願望が、負けそうになっている。現実と夢との激しい綱引きに、自分の心が白旗をあげそうになっている。諦めたら楽だ、と、心の一部がささやき始めている」と、挫けそうな自分を客観的に書いています。

この頃は、会社員として働きながら絵を描いていました。営業だったので夜遅く帰ったり、土曜出勤することもありました。結婚したばかりで、慣れない家事にも奮闘。当時は女性が家事を引き受けるのが当たり前の時代。夜9時に帰宅して料理を作り10時に食事。深夜に絵を描き始めて明け方まで描いたこともありました。

メチャクチャですね。さらに、悩んでもいました。

今は「哲学がある画家」と言われますが、メモには「今の自分に哲学なし」と書いています。「ただ技術を追うのは手習い。哲学と手法が同時に発展するのが作品」。自分は美大を出て数年たつけれど、手習いから抜け出せていない。どうしたら作品を作り上げることができるのだろう、と悩んでいました。

そして、悩みに悩んで、悩みすぎて無気力になった時‥‥、ボーっとしていいのだよ、サボってもいいのだよ、と、自分を許しました。

今振り返ると、心を病むか、体を壊すか‥‥、とにかく、病気になる一歩手前でした。だから、自分で自分に許可を出せて本当に良かったと思います。

だから、人生に大事なのは、戦いだけじゃない。あまりに苦しかったり忙しかったりする時、立ち止まるのも必要なのだ、と、心から伝えたいのです。

忙しさや苦しさに負けそうな時。プレッシャーで気力も湧かない時。どんなに動きたくても動けない時。自分が壊れそうな時。そんな時は、全力でさぼれ!!

そうして何もせずにボーっとしていると、自分の原点が見えてきました。「今は、心が枯れてきているけれど、心の奥を掘り出して、形に表すものとしての作品を描いていたのを思い出したい。私の作品は心を表すものでありたい。

血を流していても、苦しんでいても、人の心であるならば、きっと美しいはず。それを伝えるのが大切」

そして、原点を思い出すことができたことで、気がつきます。

「人は独りになる時間が必要だ。しかも、なにもしない。

テレビも本も何もなく、ノートとペンと静寂な時間。

何もごまかすものも、惑わすものもない。

自分自身の奥底をのぞきこむ。自分自身を満たす時間」

10代の頃に、憧れて読んだアメリカの哲学者、ソローの名著『森の生活』に書かれていた、「人間の精神世界には、自ら探検していない、幾つもの大陸があり、海がある」を心の底から実感したのでした。

独りになる時間が必要だ、と気づいた私は、

1997年8月17日に書きました。

「長い目で見て、自分自身であったことは、人生にとってたしかにひびく、結び目になる」

「テーマ:流域(1997)より」

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