共存(1992)|七転八倒した自分の技法を見つけるまでのエピソード

今回は、作品のルーツをたどる物語です。誰にでも自分のルーツはあると思いますが、私にとって、それは一本の筆でした。一本の筆を再発見することで、自分の人生と作品がきれいにつながりました。

それは、美術大学4年のころです。一般大学で卒業論文を書くように、美術大学では卒業制作があります。卒業するために、「自分の作品はこれだ」というものを作らなければなりません。

しかし、この【自分の作品】を創るのが大変なのです。自分の作品を創るために皆、七転八倒しました。何しろ、【自分の作品】とは、ただ上手に描けばいいのではないからです。「なぜその作品を創るのか?」「なぜその技法でつくるのか?」など、繰り返しくりかえし指導教授とディスカッションしなければなりません。

「カッコいいからピカソみたいな抽象を描きたい」といえば、「なぜカッコいいと思うの?」「どこがいいの?」「どういうところを取り入れたいの?」と教授に掘り下げられます。
答えられないと、「じゃあ、それは卒業制作の方向じゃないね、もう一回考えておいで!」といわれ、ハイ、終わり。再び最初から考え直さなければなりません。

そのたびに、「う〜ん、自分は何のために絵を描いているのだ?」とあらためて考えたものでした。それは、絵を通じて「お前はなぜ生きるのか?」と問われることでもありました。

卒業制作には何の制限もないのですが、「なぜ描くか?」「どう描くか?」に悩んで、ついつい、作品を創る手がとまります。しかし、卒業制作を作らないと単位が取れないので、大学を卒業できません。

学生同士で語り合ったり、お茶を飲んだり、図書館に引きこもったり、授業をサボったり、とにかく突破しようと試みます。

私もあれこれ突破する方法を模索していましたが、それは、ある時突然やってきました。苦しんできた指導教授とのディスカッションの時です。

「門間さん、技法というのはね、自分が今まで培ってきたものが一番強いのだよ。卒業制作で新たなことにチャレンジするのもいいけど、過去に自分の技法が眠っているときがある。ちょっと美術を離れて浮かぶものはない?」

と問いかけられて、浮かんだのです。

「そういえば、五歳の頃から習字を習ってきました」

「そうか、門間さんの筆のタッチはとても綺麗だと思っていたら、もう15年以上習字の筆を握っていたのだね。習字で培った感覚は、作品の筆力にしっかり反映されているよ。だから、あなたはひょっとしたら筆の技法を中心に組み立てたらいいかもしれない」

当時の私にとって、習字と絵画は切り離されたものでしたので、教授のアドバイスは晴天のへきれきでした。でも、言われてみたら、習字の筆も絵の筆も、同じ筆。字を書くか絵を描くかの違いだけです。それに、私は絵を描くときに、習字の筆のような丸くてしなりのある面相筆が好きでした。それを「自分の技法として発展」させればいいのか!子供の頃から大学までの筆を握った時間が走馬灯のように浮かびました。

うまく書けなくても筆を取ることが楽しいと、ただただ紙に書きつけた幼い頃。白い紙に黒々とした墨で書くことで、浮かび上がる文字の美しさに気づいてワクワクした中学校の頃。筆の弾力から形が生み出される目に見えない動きの大切さに気づいた学生時代。

技法というものは、自分の内側から感じて生まれてくるものなのだ、と、この時にピタッと腑に落ちました。同時に、五歳から大学までの自分自身が【筆】というキーワードで一つにつながりました。

「筆」というたった一つのキーワードが、バラバラな断片をスッキリつなげてくれたのです。
作品を創るということは、絵を描く以上の意味があるのだ、人生に直結するのだと気がつきました。絵の奥深さに感動した瞬間でした。

そこから、面相筆一本を使った卒業制作の技法が定まりました。当時、シルクスクリーンという版画で作品を作っていたので、版画の原盤を筆で描きました。筆をどのように使うか、という悩みはあっても、「筆」という道標が最後まで作品を描かせてくれました。

そうして生まれてきた版画作品は、指導教授から「吹っ切れたように、潔い表現ができたね。これは、確かに門間さんの作品だ。このまま作り続けなさい」と言われました。教授のニコニコした笑顔から、あの苦しいディスカッションを潜り抜けることができて本当によかったな、とつくづく思いました。

今から考えると、この、自分に向き合って突き詰めた経験が、オーダー絵画の土台として生きています。クライアントのキーワードを一緒に見つけることが、どれほど大切なことなのか。心の底から実感しているからです。

この時作った作品は、今の作風とは全く違うので、見たら驚くかもしれません。

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