作品(2009)|自分らしさを見つけるときに陥りやすい落とし穴

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自分の感覚そのままに描いた描き下ろしの絵 作品(2009)

「今の仕事が向いていない」
「このままでいいか不安」
「仕事がつまらなくて苦痛だ」

などは、<自分を作品にする>と解決できます。

え?自分を作品にするって、どう言うこと?
なんか高尚なかんじ‥‥、と言われそうですが、笑。

要は「自分らしく」です。

アメリカの詩人、ダグラス・マロックの名作で表現すると、

「丘の上の松が無理ならば
谷間の低木になれ  だが
小川の辺りにある最も美しい低木に

木になれないのなら やぶになれ

やぶが無理ならば 一握りの草になれ
そしれ 廣井道に楽しさを添えるのだ
カワマスが無理ならばクロマスで良い
だが、湖の中で最も生の良いクロマスに!

われらがみな船長になれない 水夫になるものもいよう
ひとりびとりに何かすることがある
大きな仕事もあれば 小さな仕事もあろう
そして、与えられた勤めという点に変わりはない

広い道が無理ならば ほんの小道でもよい
太陽が無理ならば 星になれ
成功と失敗を分けるのは大きさではない
何になろうとも最上のものになれ!」

今、一人ひとりが自分の判断でキャリアを選択できるようになりました。働き方も多様化。在宅勤務やテレワーク。時短勤務やフレックス制度。価値観も「ワーク・ライフ・バランスを重視」「地方に移住」など‥‥。

豊富な選択肢から選び取る時代になってきました。これは、画家がどんな画材を使い、どんな絵をどんなふうに描くかなど、豊富な選択肢から作品を生み出すのと同じプロセスをたどります。

だから、現代の仕事の悩みは、画家の言葉で言うと【自分を作品にすることで解決できる】のです。私は、美術大学で「作品をどう作るか?」と悩みました。その時、あの詩を繰り返し読んで「どんなにささやかでも、目立たなくても、自分らしくあればいい」と勇気をもらいました。

<自分らしさ>に大切なのは振り返り。「木になれるか草になれるか」は、その中で見えるものです。自分が独りで判断することではありません。自分が木だと思っていても、周りから見たら薮かもしれません。客観性が必要なのです。

マネジメントの発明者、ピーター・ドラッカーは、振り返りを「フィードバック分析」と言いました。
やり方は
(1)何かをすることに決めたときに、そのことによって何を期待するかということを書き留めておく。
(2)9カ月後、1年後に実際の結果と照合してみる。
(3)それを2、3年繰り返していく中で自己の強みを明らかにし、伸ばしていく。

観察することで、蓄えられた記憶にアクセスできます。内省する力は、強力!環境に対してどう反応するか、そもそも反応するかどうかまで積極的に選択できます。科学的に、脳の前頭前野、「自己意識の座」の領域と言われています。

しかし、これには重大な落とし穴もあります。他人から教わったことを、真実と思ってしまうと、他人の知覚が自分の脳内の回路として定着。自分の真実となってしまうのです。

他人にとっての真実と自分にとっての真実。これを切り分けられるかどうかが、大きな別れ目となります。

例えば、大家の言葉を冷静に分析して、自分の作品を作り上げた陶芸家がいます。ルーシー・リーです。彼女は、当時陶芸界の中心にいたバーナード・リーチに作品を酷評されます。

「そんな薄いものではダメ。厚い器を作りなさい」

大家に言われて、ルーシーは、厚い器を作りました。でも、【他人の真実が必ずしも自分の真実ではない】と、知っていました。以前の薄い器との違いを冷静にフィードバック分析、つまり、振り返りをしたのです。

振り返ることで、感覚から生み出す薄い器に自分らしさを見出し、そこから彼女の作品が生まれてきました。厚い器を作っていたらリーチ一派としての仕事であり、独自の作品が発展していくことはなかったでしょう。彼女は、「自分のなれる最上のもの」になったのです。

現代では、振り返るためのさまざまなツールがあります。しかし、この落とし穴に気をつけていないと無駄になります。脳の中で起こる、目に見えないことだからこそ、要注意です。

オーダーで話をするのは、クライアントが【自分を振り返る】ことでもあります。私は、「その人にとっての真実が何か、を、一緒に探せているのだろうか?」自問自答しながら、耳を傾けます。

そのためにも、自分が自分自身の真実に耳を傾けられるように日々の作品を創っています。
今回は、感覚に向き合った書き下ろしの絵。


自分の感覚そのままに描いた描き下ろしの絵 作品(2009)

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