題名:『山の彼方』構想群(一部)
「門間さん、思い出しました。山の絵がいいです」
Sさんは、セッションの最後の最後に、はっきりと言い切りました。
「山の絵を描いて褒められたこと。
これが、自分を純粋に肯定する出発点だった‥‥、忘れていました。
大事なことなのに」
自己肯定。
これは、仕事の生産性や対人関係などビジネスでの多くの要素に関係します。「失敗やミスをしないか、いつも心配ばかりしてしまう」「仕事ができる同僚を見て、自分はダメだといちいち落ち込む」などのネガティブな気持ちになりやすい人は、自己肯定する気持ちが不必要に低いかもしれません。
ミスをしないために、ネガティブな部分を見ることは必要ですが、【人間としての自分をネガティブに捉える】ことは自分の可能性に蓋をすることになってしまいます。
20世紀の神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、《神話をわれわれの精神的潜在力を開くかぎである》として、世界中の神話の中にある共通した精神が開かれるプロセスを見出した人ですが、人は【生きているという経験を求める】ことが重要だと述べています。
ちょっと難しい言い回しですが、今の言葉で言うと、「今ここに生きる」「マインドフルネス」とも置き換えることができます。
失敗やミスは、しないように最善の努力をし、何かあった時の備えをして、あとは、何か起忘れる。
同僚と自分は同じ人間ではないし、全く同じことをしているわけではないから、比べても意味がない。
そうやって、過去を切り離して、目の前のことに集中すれば、自ずと自己肯定感が適度に高まり、前向きな気持ちで仕事に取り組める可能性が高まります。
さらに、自己肯定を、もう一歩深いレベルで捉えると、人生そのものの挫折から立ち上がる助けや、迷ったときの道しるべ、になります。
例えば、神秘的な少女像で有名な画家のバルテュスは、子供時代に知った色彩の道への純粋な気持ちを大切にしていました。私は幼年時代からの絵にストーリーを込めることが好きな気持ちを忘れないようにしています。
子供時代に味わった湧き上がる喜びの感覚は、人生に力を与えてくれます。
Sさんの思い出した自己肯定とは、この、一歩深いレベルのものでした。
さて‥‥、最後に、自己肯定感を高める山の絵がほしい、とわかったのですが、最初は、
「飾る場所ができたから、門間さんの絵がほしい。ようやく頼む日がやってきました」という依頼でした。
「なんの絵にしますか」と聞くと、「今、聞かれて気がついたのですが、なんの絵がほしいかわかりません。とにかく、門間さんの絵が飾れる、それしか考えていませんでした」照れたように笑いました。
大手金融機関で、支店の営業から店長までさまざまな経験をつみ、本社では人事を務め、中小企業の社長の右腕のような尊大のSさん。柔和な笑顔の持ち主。仕事場でも困っている部下に手を差し伸べて悩みを聞くのが楽しいと言います。
私もつられて笑い、「まぁ、セッションで話を聴いていけば、きっと何か浮かぶでしょう」と、セッションを始めました。
オーダー絵画のためのセッションですが、一番初めはまず、お話を聴きます。なんの絵が欲しいかわからないクライアントは、Sさんだけでなく、今までも数えきれないくらいいました。最初になんの絵がほしいかわからなくても、セッションが終わる頃には、
「こんな色」
「こんなイメージ」
「こんなテーマ」
など、浮かんでくるのを私は知っています。
かといって、絵の話をするのではありません。Sさんの場合にも、今や以前の仕事の話、子供や奥様の話など、ご自身の話が展開していきました。
私は主に質問して、マインドマップにまとめていきます。マップを書きながら考える質問が、キーになります。だから、その場その瞬間でライブのように進めるので、何が出てくるのか私にもわかりません。
わかっているのは、必ず何かその方から湧き出てくる、こと。
仕事、結婚、学生時代、そして、子供時代、小学校‥‥、
そして、小学校の美術の時間に、山の絵を描いた話で、Sさんは思い出したのです。
「先生に、無心で描いていた山の絵を褒めてもらったことが、
自分丸ごと褒めてもらった感じがした。
あれが、自己肯定の原体験だった‥‥。門間さん、門間さんに山の絵を描いてもらって、
それをリビングで毎日眺めたいです。
純粋だった自分が持っていた気持ち、
自己肯定感をいつも呼び起こしたいです。
緑色の山の絵を描いてください」
さて、この依頼は、青い山と海の作品となって完成するのですが、
それはまた別の物語です。
題名:『山の彼方』構想群(一部)