【真実の声の響き】が
心にスッと入ってきました。
80才を超えるその方の声の響きに魅せられました。
魂がのった、重みと深みのある響き。
言霊として、大切に人に語りかける。
情報化社会の現代では、言葉が情報として、
その場かぎりのものとしてどんどん消費される、または、
消費しなければ生きていけない日本。
しかし、
その方の言葉は、ものづくりを通して
真実に迫ろうと、真摯に人生を過ごしてきたものの
輝きと美しさがありました。
11月、ご縁をいただき、能登を応援されている方々と、輪島塗りの名工を伺いました。
そして、
「人をほんとうに真に動かす対話は、
内容に共鳴するしないではなく、
動かそうとすることでもなく
心の奥底からの響きがあるかどうかだ。
その響きを、
発信側も受け手側も、自分の心の奥底の響きをどう具現化するのか、
自分なりにカタチにしていくのか。
実際に行動して歩んでいく。
それが、人と人のふれあいであり、
いのちのリレーではないか」あらためて感じました。
金沢21世紀美術館「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」
のなかでの能登の破損した九谷焼たちでの展示部分(Rediscover project実行委員会)。
その中央にある白磁。その九谷焼の展示の仕方を相談され、
「金継ぎなしで、破片を繋ぎ合わせた方がいい」
この名工の言葉が、あの展示となって表現されたそうです。
組み合わせただけの、中央の白磁がなんとも美しい。
名工の真実の言葉と、展示の在り方が重なりました。
金継ぎ(金を使って割れた部分をつなぎ合わせること)をしたら、
きらびやかになるかもしれない。
美としては、わかりやすいかもしれない。
実際に、名工の意見を実現するよりもきらびやかに表現した方がいい、という意見もあったといいます。反対もあったが、
しかし、割れてなお、形をつなぎ合わせることができている奇跡。
白磁の持つ美しさが表現されました。
足を運ぶと今なお、
壊れた家々や滑り落ちた木々。
まだ、災害は現在進行形なのだ、という現状の中でも、
凛としている能登の方々が、割れてなお、凛と立つ白磁に、重なっている。
私自身は、2003年から2009年にかけて、
作品が大転換するような真実の出会いがありました。
2003年に、一旦、今までのように絵が描けなくなりました。
特に、写実的な作品が下手になりました。
自分自身の身体の感覚に従って描いてきたと思っていたけれど、
自分は美大に行くために身につけた、上っ面の技法で描いていたと気がついて、
どう描いていいかわからなくなったのです。
この5年間は、
生死の境目で生き抜いた人と対話し続けていて、
「お前は本気で自分の極限体験を聴いているのか?」
と魂の奥底から揺さぶられ続けました。
上っ面の技法は、どんどん、剥ぎ取られるようになくなって、
絵がどんどん下手になりました。
美術大学に行って学んだあとは、
西洋の思想の土台に乗っかって、
資本主義経済の価値観の上で、
戦後の日本の在り方になんの疑いもなく、描いてきただけだ、
と気がついて、自分の心のよりどころも吹き飛んでしまい、
心の迷子になりました。
自分の前提を疑い、
全て白紙に戻し、
「本当に自分が動く原動力が何なのか」
考え続けました。
いろんなものを学び直しました。
今回の作品は、
なんとか絵を描き続けよう、魂の力だけでも描こう、と、
気迫だけ。
【自分の中の真実の声】を
見つけようと葛藤し続けた頃のものです。
この頃の体験が、
人それぞれの真実の声に、共に耳を傾ける、
セッションをしながら独自のオーダー絵画を描き上げていく、
今の仕事に深い影響を与えています。
『地球』動く力〜支えるもの