
第1部:ペンとノートだけの魔法
毎日書いていくだけで、健康が改善して、知的生産も高まる。
必要なのは、ペンとノートだけ。
魔法?いえ、魔法ではないのです。
魔法ではないけれど、その効果は、
まるで尽きない泉のような創造性と行動力をもたらします。
これを読んでいるあなたにも、画家の私にも。
それは‥‥、学術的にも「ジャーナリング」として何十年も研究されているもの。
書く瞑想、とも呼ばれています。
免疫機能に影響を与え、健康上の悩みを和らげ、環境への適応、
さらには知的生産を高める可能性があると言われています。
「ジャーナリング」の「ジャーナル」は、
フランス語で「日」を意味する「jour」に由来。
日々の出来事や、自分の感じたことを書くこと。
「ジャーナリング」は、出来事を書くだけでなく、
心の内からの思考や感情を含むように書くのが肝なのです。
ヴァージニア・ウルフ、アーネスト・ヘミングウェイなどは、「ジャーナリング」によって、試練に耐え、偉大で影響力のある作品を創り出しました。
ありがたいことに、
「ジャーナリング」にライセンスや認定トレーニングは必要ありません。ただ試してみて、自分に合うかどうか、うまくいくかどうかを確認するだけです。
例えば、ある人に効果があるものが、別の人にも効果があるとは限りません。
ある研究では、
利き手でない手で書くのが良かった人、
詩で書くのが大好きな人、もいたそうです。
実は、私は大学を卒業してから、今まで、
「ジャーナリング」を続けて記録に残しています。
オーダーのセッションの中で、
「ジャーナリング」に興味をもったクライアントの個性に合わせて教えたこともたくさんあります。
第2部:運命的な出会いと身体性からの表現
私の人生を決定づけた出会いは、大学1年の時に訪れました。
マハトマ・ガンジーの自叙伝を手に取った瞬間から、
私の芸術への向き合い方は根本的に変わったのです。
ガンジーが生涯をかけて追求した「真実への実験」は、単なる政治的な抵抗運動ではなく、日常の小さな選択から大きな社会変革まで、一貫した精神的実践でした。
「私の人生そのものが実験である」という彼の言葉に深く触発された私は、美大生として、そして幼稚園から習字を習って筆に親しんだ自分の身体性を活かして、
ガンジーの「真実の実験」を作品作りとして表現することを決めました。
卒業制作では、この取り組みが評価され賞をいただくことができました。
しかし、大学卒業後、
どのように作品の方向性を作っていったらいいかの師やモデルがいない状況に直面したのです。
そこで私が選んだ道は、自分で自問自答しながら絵を描き続けることでした。
だから自然と、自分の感じたことや考えたこと、誰にも言えない魂の叫びをノートに書くようになりました。
今振り返ってみれば、これが私にとってのジャーナリングの始まりだったのです。
後にクライアントとのセッションを重ねる中で気づいたのは、
ジャーナリングには無限の可能性があるということでした。
ジャーナリングは、その人の個性に合わせて無数の形を取ることができる、まさに「真実への実験」の道具だったのです。
第3部:言葉を超えた表現—新たな次元への扉
長年のジャーナリング実践を通じて、私は一つの重要な発見をしました。
それは言葉にできない感情が色と形として現れてくるということです。
どんなに言葉を尽くしても、内面のすべてを表現しきれない瞬間があります。
特に、深い感情や直感的な気づきは、
言語の枠を超えたところに存在することが多いのです。
そんな時、造形言語が持つ力が発揮されます。
ジャーナリングで掘り起こした感情や直感と、
造形言語が何十年もかかって融合し、
色と形で表現する実験として結実していきました。
例えば、文字では「悲しい」としか書けなかった感情が、深い藍色のグラデーションとなって現れる。
「希望」という言葉では捉えきれない気持ちが、黄金色の光として画面に踊り出る。
言葉では説明できない複雑な心の動きが、筆の運びそのものに宿っていく。
画面の中で要素をどう配置するか、
色をどう重ねるか、
線をどう引くか‥‥、
これらすべてが、言葉では表現できない内面の動きを形にする作業となっていきました。
絵を描くことは、自分の心の中にある混沌とした感情や思考を、視覚的な形として表現する行為となっていきました。
第4部:統合された実践への道
こうして数十年の実践を重ねる中で、ガンジーのインドの智慧、美術を介した文化や思想の学び、そして西洋のジャーナリング技法が、私の中で一つの実践として統合されていきました。
そして数年前、新たなイメージが訪れました。
十一面観音と龍の姿が自然と合わさって現れてきたのです。最初は偶然だと思っていましたが、やがてその必然性に気づくことになります。
十一面観音は、奈良時代から人々の苦しみに寄り添い続けてきた慈悲の象徴です。
11の顔は、あらゆる衆生を救うための多面的な慈悲を表し、千年以上にわたって人々の心の支えとなってきました。
怒り、悲しみ、喜び、迷い‥‥、人間のあらゆる状態を受け入れ、それぞれに適した慈悲を示す「多面的な受容」の象徴です。
龍は、主に東アジア文化圏において水を司り、天地を結ぶ神聖な存在として崇められてきました。天と地、見える世界と見えない世界を自在に行き来し、変化の力、創造のエネルギー、そして「流れ」そのものを体現しています。
ガンジーが追求した「真実」とは、あらゆる存在への慈悲に基づくものでした。
十一面観音の11の顔は、まさにその多面的な慈悲を表し、龍は真実を求める魂の動的なエネルギー、変化を恐れない勇気を象徴していたのです。
これは文化の寄せ集めではありません。人類が長い歴史の中で培ってきた「真実を生きる」ための智慧を、現代的な手法で実践可能な形に翻訳する試みなのです。
新しく生まれた実践は、「見る→感じる→書く→理解する」という循環を生み出しました。
まず十一面観音と龍の姿を静かに見つめ、
その感覚をジャーナリングで言葉にする過程で、
今まで気づかなかった自分の一面が浮かび上がってきます。
絵が「感情の扉」を開き、
文字が「理解の橋」を架ける‥‥、
この相互作用が、従来の内省法では到達できない深い気づきを生み出します。
第5部:あなたも始められる実践
この手法は、宗教的な修行や信仰を代替するものではありません。
むしろ、長い歴史の中で培われた精神的な象徴の力を借りて、
現代的な自己理解の手法と組み合わせることで、より豊かな内省の時間を創造しようとする試みです。
必要なものは、相変わらず「ペンとノート」だけ。
そして一枚の絵(この十一面観音龍の作品)があれば十分です。
実践的な始め方
- 静かな観察(5分間)作品を前にして、まず5分間ただ見つめます。どの色に心が反応するか、どの部分に目が留まるかを観察します。観音様や龍への感謝の気持ちを込めて、静かに向き合う時間から始めてください。
- 感覚の記録 批判や分析は後回しにして、純粋な感覚を記録することから始めます。「今、心に浮かんだのは‥‥」「この色を見ていると‥‥」など、どんなに些細なことでも文字にしていきます。
- 内面との対話 書いていく中で、新しい気づきや疑問が生まれてくるでしょう。それらも含めて、自分自身との対話を続けてください。
- 個性に合わせたカスタマイズ もちろん、普通にノートに書いてもいいし、気に入ったとっておきのペン、逆にどこにでもある鉛筆、利き手でない手で書く、詩的な表現を使う、色鉛筆で感情を色で表現するなど、あなたの個性に合わせて自由にアレンジしてください。
ガンジーが始めた真実への実験は、今もここで続いています。
古代から受け継がれてきた精神文化と現代の心理学的手法を融合させることで、
伝統の智慧を現代に活かす新しい形を模索する。
これは文化の消費ではなく、敬意を持った継承の一つの形なのです。
この絵を前にして、あなた自身の「真実の実験」を始めてみませんか?
