対話できる絵画®の背景にある、美術と思想の参照系


21人の参照マップから見えてくる、私の制作の土台

私の制作は、ひとつの流派や様式だけから生まれたものではありません。

抽象画、象徴主義、日本画、近代絵画、色彩論、美学、哲学、東洋思想、身体感覚、対話、そして長年のアートジャーナリング。

それらが、長い時間をかけて私の中で重なり、ほどけ、組み直されながら、現在の「対話できる絵画®」という制作へつながってきました。

このページでは、私の絵を支えてきた美術・思想・哲学の参照系について書いてみたいと思います。

ただし、ここで挙げる人たちは、私がそのまま継承している師弟関係のようなものではありません。

むしろ、長年、画集や作品、著作、展覧会、制作体験を通して繰り返し自分に置き換えて考えてきた人たちです。

だから、私は彼らの思想や作品を、そのまま理論として借りているわけではありません。

自分自身の制作実践の中で、すでに身体で感じていたこと、絵画の中で体感してきたことを、あとから照らし合わせるように読んできました。

つまり、私にとってこの参照系は、何か権威づけしようとするような引用ではなく、
自分の制作の奥にある構造を確かめるために、長年かけて編集を重ねてきた地図です。


私の制作は「依頼主の好み」だけを描いているものではありません

対話できる絵画®は、依頼主の好みや趣味をそのまま形にするだけの絵ではありません。

もちろん私にとって、依頼主の色の好み、空間との相性、暮らしの中での見え方を大切にすることは画家としての大前提です。

その上で、私が見ているのは、その先にあるものです。

その人が大切にしてきたもの。
まだ言葉になっていない感覚。
判断の前にある違和感。
生き方や仕事の中で、長い時間をかけて形づくられてきたもの。
そして、本人もまだ十分には説明できないけれど、確かにそこにある内的な秩序。

私は、そうしたものを対話の中で受け取り、線、色、構図、余白、質感、配置などへと変換していきます。

そのため、対話できる絵画®は、普通のオーダー絵画とも少し違います。

「こういう色で、こういう雰囲気で描いてください」という依頼を超えて、
その人固有のものが、どのような造形として立ち上がるのか
を探っていく制作です。

21人の参照系は、美術史の一覧ではなく「制作の地図」です


私が参照してきた人たちは、大きく分けると、いくつかの束として見えてきます。

ここでは、厳密な美術史の分類ではなく、私の制作にどう響いているかという視点から整理します。

1. 見えるものと見えないものの境界を越える系譜

この束には、ドラクロワ、ギュスターブ・モロー、オディロン・ルドン、長谷川等伯などがいます。

彼らから受け取っているのは、目に見えるものだけが現実ではない、という感覚です。

モローには、神話や人物像の奥に、夢や深層、抽象があります。
ルドンには、現実と幻想、観察と夢が重なり合うような肌触りがあります。
ドラクロワには、感情と構成、色彩と動きが一体となって理性と知性をつなぐ力があります。
長谷川等伯には、描かれたもの以上に、情緒、余白や気配が絵画を成立させる力があります。

私は、これらを「幻想的な絵を描くため」に参照しているのではありません。

むしろ、目に見える形の背後にあるものを、どうすれば画面の中に宿すことができるのか。
見えるものと見えないものを、同じ画面の中で共存させることができるのか。

その問いとして受け取っています。

だから、対話できる絵画®でも、依頼主の言葉に現れているものだけを描くわけではありません。

言葉の背後にある気配。
沈黙の中に残るもの。
表面的な希望とは少し違う、本人の奥にある方向性。

そうした層を、絵の中でどう扱うかを大切にしています。

この束は、その感覚を支えています。


2. 造形そのものが生成する系譜

この束には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、クレー、セザンヌ、マティス、ロスコ、ターナーなどがいます。

ここで大切なのは、絵の中で、形が生まれてくる過程そのものを重視することです。

クレーには、線が歩き、形が育ち、生成の運動そのものが造形になっていく感覚があります。

セザンヌには、知覚の揺らぎを失わずに、世界を構造へ変えていく力があります。

マティスには、身体から色と形の調和を立ち上げる感覚があります。

ロスコには、画面の前に立つ人の身体へ、色彩や空間が静かに入り込んでくるような深さがあります。

ターナーには、光、空気、揺らぎが、風景を超えて大気そのものを生成していくような場があります。

私にとって、必ずしも絵は「最初から完成イメージを持つもの」ではありません。

むしろ、描きながら、対話しながら、見直しながら、少しずつ立ち上がってくる兆しや余白を大切にしています。

だから、対話できる絵画®でも、最初から完成図が決まっているわけではありません。

依頼主との対話の中で、言葉が生まれ、発見や違和感が現れ、構想画が出てきて、そこからさらに別の層が見えてくる。

その生成の過程そのものが、作品に入っていきます。

だから、私の制作では、完成した絵だけでなく、そこへ至るまでの構想、下絵、対話、迷い、配置の変更も重要です。

作品は、結果であると同時に、
生成の痕跡を含んだ場
でもあります。


3. 内的秩序を問う系譜

この束には、シュタイナー、カンディンスキー、ヨハネス・イッテンなどがいます。

ここで扱っているのは、見えない秩序、精神的な緊張、色や形の内的な必然性です。

ただし、私はこれらをそのまま霊的教義や宇宙論として受け取っているわけではありません。

シュタイナーにおいて強く惹かれたのは、理論体系そのものではなく、黒板画などに見られる線のにじみ出るような深さでした。

カンディンスキーについても、普遍的な精神秩序をそのまま私の制作に当てはめるのではなく、
形と色などの内的必然性
という感覚を、個別の精神的秩序へ読み替えてきました。

イッテンからは、色彩や構成が単なる装飾ではなく、精神性や身体感覚と結びつくものとして受け取っています。

ここで大切なのは、私の制作が「なんとなく感覚的」なのではない、ということです。

かといって特定の造形論をなぞるわけでもありません。

色そのもの。
形そのもの。
余白や構造。
「造形論になる前の造形」に着目します。

そうすると、癒しや祈り、見えない感覚など神秘主義的なものも造形がやさしく包む。

見えないものが、どのような線、色、余白、構成、配置などとして立ち上がるのか‥‥。

そこを、絵画の問題として扱っています。

4. 個別・身体・言語・場を分けない系譜


この束には、西田喜太郎、井筒俊彦、中井正一などがいます。

西田から受け取っているのは、個別と普遍を単純に分けない感覚です。

普遍がどこか上から降りてくるのではなく、個別を深くたどることで、そこに普遍的なものが現れてくる。

これは、私の制作にとって非常に大切な感覚です。

対話できる絵画®では、依頼者を一般化しすぎません。

「こういうタイプの人だから、こういう絵になる」と決めるのではなく、その人固有の語り、その人の沈黙、その人の違和感、その人が大切にしてきたものなどを、できる限りひとりひとりたどります。

そうして、深く個別をたどっていくと、そこにはその人だけに限定されない、人間としての普遍的な感覚が立ち上がってくることがあります。

井筒俊彦からは、言葉や意識の深層で、世界の見え方そのものが変わる様々な思想的哲学的構造を受け取っています。

だから対話の中で、単に新しい情報が増えるのではなく、
「そう見えていた世界が、別の見え方へ変わる」
ということがあります。

中井正一からは、身体、媒介、共同性の問題を受け取っています。

絵は、ただ画家の内面だけで成立するものではありません。

画材、手、身体、見る人、飾られる場所、対話の場、依頼者の言葉、そこに流れる時間。

それらが媒介となって、作品は成立します。

この束は、私の制作が、単なる個人表現ではなく、
自己・他者・身体・言葉・場のあいだで生まれるもの
であることを支えています。

5. 静かな持続と沈黙の存在感の系譜


この束には、モランディ、坂本繁二郎、香月泰男、長谷川等伯、竹内栖鳳、ロスコなどがいます。

ここは、かなり私の核に近い場所です。

強く主張しない。
しかし、静かに強い。
前に出ると言うより奥に誘う。
そして、場として効き続ける。
時間が経つほど、別の見え方が次々と立ち上がる。

私は、そのような絵に深く惹かれてきました。

対話できる絵画®は、必ずしも何か一定のメッセージを伝える絵ではありません。

むしろ、飾られた後に、見る人の生活や仕事や思考の中で、少しずつ変化して働き続ける絵でありたいと思っています。

今日見た時と、半年後に見た時で、少し違って見える。
忙しい時には静かにそこにあり、節目の時には何かを思い出させる。
すぐに答えを与えるのではなく、その人の内側で問いが育つ余白を残す。

私が大切にしているのは、そのような
静かな持続力
です。


一人ひとりを深くたどることで、「内在的普遍」へ向かう制作

私の作品は、ときに神秘的に見えることがあります。

抽象的な形、光のような色、見えない気配、祈りのような静けさ。

そのため、スピリチュアルな絵、感性の絵、癒しの絵として受け取られることもあります。

それ自体は現代で必要とされていると考えています。

人が絵の前で癒されたり、祈りのような感覚を持ったり、言葉にならないものに触れたりすることは、とても大切なことだと思っています。

その上で、私の制作は、「美」や「芸術」を土台とするものであり、その土台から、それぞれのもつ世界観や宇宙観を尊重したいと考えています。

そのため私が扱っているのは、ことばや理論の手前にある、もっと内側から立ち上がってくるものです。

その人の中にある感覚。
まだ言葉になっていない判断。
関係性の中で揺れているもの。
身体が先に知っていること。
個別の経験の奥にある、静かな普遍性。

私は、それらを
その人自身の内側から立ち上がる秩序として、絵の中に配置していく
ことを大切にしています。

もちろん、その方が特定の教義や理論を大切にしている場合は、それを含みます。

その意味で、私の制作は、特定の宇宙論というより、内在的普遍
へ向かうものだと感じています。

普遍は、遠いどこかにあるのではなく、個別の深まりの中に現れる。

一人の語り、一つの違和感、一つの色、一つの余白の中に、その人につながる何かが現れる。

私は、その現れを絵として受け止めたいのです。


科学やビジネスや癒しを、芸術の生成の中で組み直す

私にとって、芸術は一つの分野に閉じたものではありません。

癒しや祈り。
見えない感覚。
ビジネスの現場で生まれる判断や違和感。
人が自分の生き方や仕事を見直す時間。
科学的視点。
データ。

それらを、私はそのまま外部の枠組みや制度、専門用語から考えたり表現したりしているわけではありません。

長年の制作実践と、美学・哲学・身体性の参照系の中で一度それらをほどき、自分が積み重ねた絵画の生成へと組み直してきました。


ビジネスにアートを応用しているだけでもありません。
スピリチュアルな感覚を絵にしているだけでもありません。
科学を起点にして絵を描いているのではありません。
市場に合わせて作品を作っているのでもありません。

私にとっては、芸術そのものが中心にあります。

その芸術の中心から、哲学、ビジネス、身体性、対話、癒し、祈り、科学、データを見直し、必要なものを絵画の生成原理の中で編み直してきました。

既存のアート市場で扱いやすい価値だけに、絵を合わせるのではありません。

現代ではまだ市場の言葉になりにくい、身体性、人の感覚、判断、関係性、変容に関わる価値を、
芸術として立ち上げること。

それが、私の制作の大きな試みです。


対話できる絵画®が、依頼者ごとに異なる理由

対話できる絵画®では、作品が依頼者ごとに大きく変わります。

それは、単に「好みに合わせている」からではありません。

私が見ているのは、表面的なスタイルではなく、
その人の中で何がどのように生成しようとしているか
だからです。

ある人には、静かな余白が必要かもしれません。
ある人には、色の強さが必要かもしれません。
ある人には、複数の方向性を一枚の中で共存させる必要があるかもしれません。
ある人には、まだ言葉になっていない違和感を、すぐに結論づけず置いておく必要があるかもしれません。

一人として同じ人がいないように、人の数だけ絵の在り方があります。

そのため、私の絵は、作家のスタイルといった同一性よりも、
生成原理の一貫性
を大切にしています。

同じ画家の作品でありながら、一枚一枚が違う。

けれど、その奥には、
対話を通して、個別の感覚をたどり、
見えない秩序を配置し、
芸術作品としての絵を成立させる
という一貫した制作の原理があります。


21人の参照マップ

ここで、私の制作を支えてきた参照系を、ごく短く整理しておきます。

これは、美術史上の正統な系譜というより、私自身が制作の中で照らし合わせてきた参照マップです。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ:生成する制作そのものが、生命を宿しながら完成に至る
  • ドラクロワ:情動と構成など、相反するものを同時に動かす
  • ギュスターブ・モロー:深層と抽象を背後に宿す
  • オディロン・ルドン:現実と幻想を溶解の中で結ぶ
  • 長谷川等伯:余白と気配で場を成立させる
  • クレー:生成運動を可視化する
  • セザンヌ:知覚の揺らぎを失わず、世界を構造で捉える
  • マティス:身体から全体調和を立ち上げる
  • ロスコ:絵画を触覚的な造形の旅として創る
  • モランディ:反復と微差の静けさで存在密度を作る
  • 坂本繁二郎:独自の静かな強度で長い存在感を生み出す
  • 香月泰男:普遍まで抽象化された作品で、深さを定着させる
  • シュタイナー:直観的生成の背後の秩序へ向かう
  • カンディンスキー:点・線・面などの絵画構成を、抽象的な理論として明快に示す
  • 西田幾多郎:個別の中に普遍を見る思想を築く
  • 井筒俊彦:東洋的意識・言語の位相構造を読む
  • 中井正一:身体・媒介・共同性の成立を考える
  • ヨハネス・イッテン:身体性と個人の内的生成を、色彩や造形表現へ接続する
  • ターナー:光・空気・揺らぎを含めた画面を生命的に生成する
  • 竹内栖鳳:生命的な揺らぎを日本的構成の気品へ翻訳する
  • 門間由佳:対話的生成によって、近代で分断された境界を、越境者の眼で静かな存在感へ変換する

この21人は、私が「誰に似ているか」を示すためのものではありません。

むしろ、私がどのような問いの中で制作してきたのかを示すためのものです。

見えるものと見えないもの。
個別と普遍。
非言語領域と言葉。
溶解と構造。
癒しと前進。
聖と俗。
破壊と創造。
方向と循環。
科学と芸術と経済。
論理と感覚。
数字にできるものと数字にできないもの。
理性と感性。
判断とその前にあるもの。
画家と依頼主。
絵と対話。
作品と場。

それらを分断せず、絵画の中でどう配置し直すか。

その問いが、対話できる絵画®の背景にあります。


依頼主にとって、この参照系が意味すること

この参照系は、私自身のためだけにあるものではありません。

対話できる絵画®の依頼主にとっても、大切な意味があります。

依頼主の方が、誰かにこう聞かれることがあるかもしれません。

「好み以上のものを絵にできる画家って、どういう人なの?」
「何を根拠に、美学や哲学と言っているの?」
「その絵は、画家のスタイルで欲しいものを描いてもらうオーダーとは何が違うの?」
「スピリチュアルな絵なの?」「どんな価値があるの?」
「ビジネスや人生のテーマを、なぜ絵にできるの?」

その時、依頼主の方が、美術史や哲学を詳しく説明する必要はありません。

ただ、こう言っていただければ十分です。

私の好みを描いてもらったというより、私が大切にしてきたものや、ものの見方を、美術や思想の参照系を持つ画家に、一枚の芸術作品として形にしてもらったものです。

あるいは、

画家本人が、制作の背景になっている美術や思想の系譜について書いている記事があります。私が説明するより、そちらを読んでもらう方が近いと思います。

それで十分です。

このページは、依頼主の方が自分の絵の内容を必要以上に説明しなくてもよいようにするための、画家による解説ページでもあります。

個人的な絵でありながら、世界に開く絵へ


対話できる絵画®は、依頼主一人ひとりのために制作する絵です。

けれど、それは「個人的な好みの絵」としてだけに描いたものではありません。

その人が生きてきた中で大切にしてきたもの。
まだ言葉になっていない感覚。
仕事や人生の中で培ってきた判断の地盤。
他者には説明しにくいけれど、確かにその人を支えているもの。

それらを深くたどることで、個人を超えた普遍的な感覚が立ち上がることがあります。

私は、その瞬間を大切にしています。

個別を深くたどることで、普遍へ触れる。
見えないものを扱いながら、神秘主義に閉じない。
抽象へ向かいながら、形式主義に閉じない。
内面を扱いながら、私的感情表現だけに閉じない。
科学やビジネスや癒しを扱いながら、それらを芸術の外から借りるのではなく、芸術の生成の中で組み直す。

そのような制作として、私は対話できる絵画®を続けています。


絵は、言葉にしきれないものを支える器になる

言葉で説明できることは大切です。

けれど、人は言葉にできることだけで生きているわけではありません。

判断の前にある感覚。
まだ形になっていない違和感。
自分でも十分に説明できないけれど、確かに大切だと感じているもの。

そうしたものを、すぐに切り捨てず、絵として見つめる。

そうした部分に生成としての絵が触れる。

ここに、私が絵画を続けてきた理由があります。

対話できる絵画®は、単なる好みの絵でも、装飾でも、説明用のマップでもありません。

その人固有の感覚やものの見方を、
美術・思想・哲学・身体性・対話の参照系を通して受け取り、
一枚の絵として立ち上げる制作です。

そしてその絵が、依頼主の暮らしや仕事の中で、長く静かに働き続けること。

それが、私の考える、芸術の価値です。


関連ページ

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→ 対話できる絵画®とは

言葉になる前の感覚について
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制作と研究の関係について
→ この制作を、研究として扱っている理由

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