
「作品の生みの親は門間さんで、育ての親は絵を毎日眺める私というところですね^^」
言ったのは、一人ビジネスの勉強仲間のKさん。それは、2010年春の頃でした。半年の勉強会が終わった後、縁あって私の作品を買ったときの言葉です。
正直、言葉に驚きました。当時絵を発表していた画廊で「作品は、作者の内部から生まれる」と、独立のものとして扱われていました。美術界では、近現代、「作品と作品は作者に帰属する」という考えが主流です。だから、「門間の絵を育てる」‥‥、絵の所有者が絵を育てるという発想に驚いたのです。
「第一印象は、『わぁかわいい!ラムネ菓子みたい』でした。そっと出してあげたら、『まるで、出産の時と同じでこんなかわい子ちゃんがわたしの中にいてくれたのね~。ちゃんと素敵な名前もあってようこそ。わたしの元へ来てくれてありがとう!』という気持ちです。
生みの親、育ての親というところですね^^」
美術界の常識に囚われない、自分の心をそのまま紡いだKさんの言葉が眩しかった。
目からウロコが落ちた。
それは、
「絵を持った人が明るく元気になる」
「絵を見ることが人としての成長につながる」
「絵にインスパイアされて、持ち主がより周囲への貢献ができる」
ようになりたいと志を立て、
独自の活動を準備している頃だったので、
ああ、嬉しいな、【絵を持った人が絵と自分を育てていくような出会いを重ねたい】と思いました。
同時に、学問としての美術研究を通じて、自分の作品哲学を深めたいと思いました。私にとってのヒーローは、ダビンチや、マティス、マーク・ロスコといった自分なりの哲学を打ち立てながら作品を創り出したからです。自分なりの哲学を打ち立てていくには、学問としての美術にも向き合う必要があります。
だから、Kさんの言葉を得た後も、美術や哲学などの専門書を折に触れて読んできました。
そして、美学者の佐々木健一が書いた『美学事典』に出会って、絵を見る人が「絵を育てる」のは、美学で言うと【美的体験】なのだと気がつきます。
事典には、
「対象の発見だけでなく、体験主自身の発見にもつながる」
のが、美的体験だと書いてありました。
「絵を育てる」とは、見るだけではない。
「絵を見て感じる=感性を働かせて、何かを見つけて考える=知性を働かせる」という二つを組み合わせなければできません。
言葉にならない感覚から、自分なりの言葉を見つける。
感性と知性の二つに橋をかけるのです。
「絵を育てる」という絵の見方は、知性と感性を磨くのにつながるのです。
絵が人の成長に関わるものでありたい、私の目指す作品のあり方にぴったりです。
さらに、Kさんのように「かわい子ちゃんがわたしの中にいてくれた」‥‥、絵と自分と結びつけて感じれば、絵の見方が変わる時に、自分自身への発見があります。
自分自身への発見といっても、幅は広い。
「今の自分は緑色が好きだ」などの単純な好みから始まって、
「今までより穏やかに見える」感受性の揺れ動きや
「みんなと話し合うような関係性がいい」価値観や思想まで含みます。
価値観や思想まで、絵を通じて自己発見を繰り返していければ、どんなに絵が人の成長に役立つだろうか‥‥!事典に出会って、しみじみ思いました。これ以降、私の絵を手に入れた人に、絵を育ててもらえたらいいな、と強く思うようになりました。
そして、私の作品に興味を持った人に
「この色がちょっと変われば」
「ここに花が入れば」
などの何気ない言葉に
「なぜ、色が変わればいいなと思うのですか?」
「花は、どんな花かイメージできますか?」
問いかけて
一つ一つ丁寧に紐解くようになりました。
そして、問いかけと答えを繰り返してからその人のために絵を描くと、完成した絵を見るよりももっと、人は自己発見しやすいのがわかってきました。
感性と知性とを働かせる美的体験が、いかに自己発見に役立つのかを一つ一つ実践で体感していったのです。
だからKさんとの出会いは、他にないと言われる特殊なオーダー絵画、【対話できる絵画】を創る源につながっています。
