それはMさんが傘を忘れたことから始まりました。イベントに参加して、絵や会話を楽しんだ後、会場の入り口に置いて帰ってしまったのです。
連絡をとり、渋谷でお会いすることになりました。イベントの参加者が多くMさんと話す時間がなかったので、ホテルのラウンジに待ち合わせをしました。Mさんは起業家。若くて目がキラキラしています。スポーツ関係の集客で、実績をあげていました。
「起業後すぐに、動画での集客で成果を上げることができました。だから、自信はあります。」Mさんの話はエキサイティングでした。だから、もっと掘り下げて聞いている時、「門間さんに聞かれているうちに、あらためて【自分だけの仕事ってなんだろう?】と思います」と言われて驚きました。「イベントでご覧いただいたように、自分はどんなふうに貢献したいのか、絵を通じて発見できますよ」と答えると、「実は、門間さんの絵が欲しいな、と前から思っていたのです。はっきりしたビジョンが見えてなかったんだ、と気づいた今が、タイミングだと感じます」Mさんは、にっこりと笑って依頼しました。
人は、自分の核となるもの、軸となる考えがあるものです。でも、日々の仕事では、自分を振り返る時間があまりありません。たくさんの情報を処理していくのが日常でしょう。でも、自分に関しては、じっくりと一つのものを味わって、考えることが大切です。
オーダーでは、セッションの後、イメージをじっくりと熟成させます。そして、アトリエで絵を描き、次のセッションで見せながら話します。その時、「じっくりと味わっていてくださいね」と伝えています。Mさんは、いつも、セッションで絵をみると、何分も何も言わずに眺めていました。
セッションで自分が話した言葉が、絵に詰まっているのを知っているので、関心を持って眺めている‥‥ということが、真剣な雰囲気から滲み出てきます。ある時は、10分以上ひたすら見ていました。この「ゆっくりじっくり」時間がポイントです。何かを発見したいなら、目を開き、頭を使い、感覚を研ぎ澄ませて注意を払うことです。
スティーブ・ジョブズやレオナルド・ダヴィンチも「<発見する力>がたいせつだ」と考えていました。
そうして発見したものが、自分の血肉になります。
セッションでお話しした後に、最初に描く構想画は、一枚ではありません。数枚から数十枚描きます。Mさんの絵は、抽象的な紺色の構想画から出発しました。何枚も並んだ絵を見て、「セッションでお話ししたときは、ぼんやりした一つのイメージでした。門間さんに絵にしてもらうと、こんなに可能性があるなんて」と驚きました。「画家は、いろんな色や構図を知っています。だから、お話から色々描けます。クライアントが気づかない可能性を、絵を通じて伝えることができます。しかも、この中から一枚を選び出すことで、ぼんやりしていたイメージが「これだ!」と明確になるように描いています。それぞれ意味が違いますから、選ぶことで自分の考えもはっきりしてくるのですよ」と伝えました。
Mさんは、「ワクワクします」と、笑顔になり、その後、ゆったりと絵を選ぶ時間を楽しんでいました。次に、選び出した絵を見ながらセッションすると、イメージが発展します。Mさんは、その後、輪の中からグリーンの上昇する動きが浮かんできました。そうして、構想が発展していったある日。
Mさんが、戸惑ったような顔でセッションに来ました。「門間さん、いきなりクジラが浮かびました。上野の博物館で偶然見た時、絵に入れたいと感じて頭から離れないのです。自分では、どうやってクジラが絵に入るのか、全くわかりません。本当に入れていいのかもわかりません。でも、入れて欲しいと感じます。どうしましょう」
意味がわからなくても、絵に入れたいと感じるときは、入れるのが正しい。これが、ビジョンクリエイターの信条です。自分の内側からのメッセージを信じるのです。
その場で、クジラが絵に入る可能性を数パターン走り書きしました。「いつものように、じっくりと眺めて、どれがしっくりくるかを選んでください」と伝えると、Mさんは長い長い時間‥‥、見続けました。そして、「ちょっと信じられないのですが、真ん中に大きく入ります」と、クジラが主役の構図を選びました。本画が決定した瞬間でした。
その後、本画が完成する頃、なぜクジラが主役だったのかわかりました。イメージが浮かんできた頃に亡くなったお父さんの象徴でした。Mさんにとって、大きくて安心できる存在。無言の信頼で背中を押してくれる、いつも応援してくれる人だった。クジラのイメージが浮かぶことでMさんは、お父さんとの関係性を再発見したのです。
そして、そこからMさんの軸が自然に見えてきました。そして、【人の願いを叶えられる人になる】という自分自身の定義を見つけました。人の願いを叶えるとは、クライアントの向こう側にいる人の役に立てる人になる、表に出ていない願いも引き出せる人になる、どっしりと構えて、受け止められる人になる、とはっきりと言えるようになりました。
どっしりと構えて、受けて立てる人になる。
それは、Mさん自身がクジラの、お父さんのような大きさを感じさせる言葉でした。