何がきれいな色なのか?
人によって驚くほど違います。
錆びたような茶色に近い金色を見て、
「渋くてキレイ!」「濁って汚い」
白っぽい明るいピンクを見て
「澄んでキレイ!」「軽くて浮ついている」
自分が見えている世界と、
他の人が、見えている世界が違う。
オーダー絵画を描くために、話をして感じます。
【好き】は、主観。そこには正解がないのです。
誰かが言っている。
大多数の人が言っている。
◯◯も言っている。
と言っても関係ないのです。
しかも、目には個性があることも科学でわかってきました。
人の目には、二色型、三色型、という分け方があり、
赤色を感じるのが不得意な二色型の画家ではないか、と言われているのがゴッホです。ゴッホの絵にほとんど赤が使われていないためです。
では、二色型は不自由なだけかというと、そうではなく、三色型よりも形をはっきり捉えるのが得意といわれています。ゴッホといえば、浮世絵に影響を受けたことで知られています。平面的な形に惹かれたことからも、2色型の可能性を考えられるかもしれません。
最近では、単に型の違いだけではなく、色の感じ方にグラデーションがあることがわかってきています。人によって、同じ色でも明るさや色味などが微妙に違って見えているのです。
人類が生き残っていくために、たくさんの見え方があるように進化したのでは?と考える学者もいます。
私の経験では、目についてはまだまだ未知の世界がありそうな気がします。
例えば、
あるオーダー絵画では、澄んだ綺麗な色の絵を見ているのに
「濁って汚い」
という方がいました。
さらに驚くことに、同じ方が、数ヶ月経って同じ絵を見て
「こんなに綺麗な絵だったのか。どうしてあんなに汚く見えたのだろう」首を捻ったのです。
Kさんが絵を「汚い」と感じたのは、オーダー絵画のプロセスを展示するイベントの時だったそうです。自分のオーダーのプロセスを、他の人と一緒に見たくて参加していました。周りから「綺麗な絵ですね」声をかけられ、密かに「気を使ってお世辞を言っているのだ」と思ったそうです。
でも、数ヶ月経って「門間さん、綺麗な絵だったことがわかりました」と言いました。
「そうですよ」微笑むと
「門間さんは綺麗な絵を描いたのに、『汚い』って言っていた私をそっとしておいてくれたのですね」Kさんはしみじみいいました。
なぜ、汚く見えるのか。私に深い理由がわかっていたかといえば、そうではありません。では、Kさんに聞けばよかったのか?といえば、そうではない、と今でも考えています。
私自身、絵を通じて何かを得ようとするとき、言葉にできないからです。特に、絵を鏡に自分に向き合っている時はそうです。絵を自分の鏡にしているときは、絵の中にさまざまなものを感じ取ることがあります。でも、感じている最中は、言葉にするのが難しい。身に沁みて知っています。
Kさんがオーダー絵画を依頼した理由の一つが、【自己成長】でした。だから、Kさんの様子から、そっとしておくのがいいと感じていました。
言葉にできないものや、言葉で受け止めることができないものを、
絵は埋めることができます。
数ヶ月経って、汚く見えていた絵が綺麗に見えるようになってから、「自分は、今まで向き合わなかった嫌な自分と向き合おうとしていて、それが、『汚い』という感じ方に反映したのかもしれない」Kさんは振り返りました。