「喪失のイメージを思い出しました。
水の気配です。これを描いてほしいです」
セッションで今の仕事や生活から今までのことまで様々に話した後に、Sさんがキッパリと言いました。
クライアントにとりとめなく自由に話してもらうことを、マインドマップに書き留めていくと、話のどこかで描いてほしいものがポン、と浮かんでくることがよくあります。Sさんは、子供の頃の記憶を生き生きと語り始めました。
「子供のころ、たくさんの友達と仲良く遊んでいた学校から地方の学校に転校しました。当たり前なのですが、転校先の学校には友達がいません。しかし、小学生だったので、友達がいないことに大きなショックを受けました。今、大人として振り返ると、世界が変わる喪失感を知ったのだと思います。
そして、この頃、‥‥なぜか繰り返し川の夢を見ました。
だから、私にとって、喪失は川、水のイメージです。
喪失を描いてほしいって、ちょっと不思議に思われるかもしれません。でも、私にとって、喪失は東洋的無なのです。東洋的な『無』は、『有』の裏返し。
アイデアや発想、勇気があればなんでもできる。そんな発想ができるのが、東洋的な『無』だと思うのです。
だから、喪失を感じる水を描いてもらいたいのです」
人は生まれて、成長し、大人になる中で、無数の体験を重ねます。
毎日のなかで最高に嬉しかったことも、心が痛む悲しかったことも
忘れていることが多いですが、それは心の奥深くにあります。
無意識の世界は、無や悟り、もののあわれなど、東洋では昔から積極的に肯定されてきました。例えば、老子は紀元前の哲学者です。
一方、西洋の哲学者では、「無意識は非合理なもの」、と考えるのが一般的でした。しかし、第一次世界大戦が大きな転機になります。戦争の中で起こった様々な不合理を前にして、「二千年にわたる理性中心の西洋文明観を乗り越え、非合理な無意識の世界を認めることができた」とカント学者のフランツ・アレクサンダーの父は言いました。
そして、心理学で無意識の研究が始まりました。しかし、心理学の巨匠、フロイトとユングで無意識の解釈は違いました。現在でも、いろんな分野でさまざまな説が言われています。
私は、ドクターと科学的な議論をする機会がありますが、画家/ビジョンクリエイターとしては、心には数値化や再現化できない部分が残るので、いろんなアプローチがあっていいと考えています。
何よりも大切なのは、一人ひとりが、幸せになったり、成長したり、ビジョンを掴むことができること。
絵と言葉で目の前にいる人に語りかける中で、いちばん効果があるものを探し出し、作品に表現して届ける。それを何より大切にしています。
Sさんは、写真そっくりに見えるような見事な写実的な絵を描いて賞をもらう画家であり、デジタルで描くイラストレーターとしても活躍してきました。そのSさんが、あえて私に絵をオーダーする理由は何なのか。
「門間さんには、私にない作品発想があります。だから、自分が思いつかない、水のイメージ、見たことのない水のイメージが見たいのです。
以前、白、緑、黄色により描かれた以前、体験オーダーで描いてもらった水の配色が好きなので、門間さんにこの配色を使って描いて欲しいです。
今回は、濃い緑の部分から湧き出てくる感じ。ブルーホール(英:blue hole)は、かつての洞窟や鍾乳洞といった地形が何らかの理由で水に沈んで、浅瀬に穴が空いたように見える地形のことです。
解釈の幅がとてつもなく広い水の世界‥‥。それでいて、自分を絵の中にすっぽり入れてしまえると感じる、手のひらサイズで掬えそうとも感じる‥‥、そんな世界です」
確かに‥‥、そういった心の世界を描くのは、私の得意分野です。
セッション後、アトリエに戻り、構想の絵を描きました。
2回目のセッションでは、絵を見ながら話すことになります。
そして、Sさんが構想の絵を見て、
「構想の絵が好きすぎます!」
と、携帯の待ち受けにするくらい気に入ることになるのです。
さらに、「構想をもとに本画を作ってください」
今までにない、オーダーメイド絵画の制作パターンに発展していくのですが、
それはまた次の物語です。