体験の積み重ねが、人生と個性をかたち作っているのに、玉ねぎのように、幾重にも層になって見えにくくなっていることがあります。
自由や自分らしさ、生活の心豊かさは、自分にとって心地よい選択を選んだり創ったりすることで、形作られて行きます。例えば、競い合わなければならない時さえも、いや、争うからこそ、心地よい選択を選んだり競ったりする必要があるのです。
ここでいう、心地よいとは、単に楽だ、という意味ではありません。
自分を生かし切って生きるにはどうしたらいいのか、を繰り返し考えて行動することなのです。
スポーツはわかりやすい例ですが、「体格が戦う相手に劣る」時でも、勝利を競うことを決めたのならば、「欠点を欠点として捉えるのではなく、欠点を一つの条件にすぎない」と考えて行動するのです。
近年、ワールドカップでの活躍が目覚ましいラグビーの選手たちは、体が小さいのを一つの条件と考えて、それを補うために低い体の姿勢と深い洞察力、スピードを磨いたそうです。
自分自身に立脚して考え行動することで成果を上げたのは、フロイトとユングという心理学の二台巨匠も同じです。彼らは歴史に大きく名を残しましたが、その出発点は、それぞれの個性と関係が深いです。
フロイトの自我論では心を、イド(無意識)、自我エゴ(意識)超自我スーパーエゴ(無意識)の3つに分けました。そして、それらは互いに力を競い合い、その力のバランスによって人格の特徴を形成していると考えました。ちなに身、これを発展させたのが、現代の交流分析エゴグラムです。
フロイトの【競い合う】という発想は、美しい母をめぐって父とフロイトが子供の頃競い合っていたことと深い関連があるとも言われています。また、父権的な立ち位置で自分の学派を作るなど、彼の行動や思想にピラミッド的な序列パターンが見受けられます。集団に対する考え方も同様で、指導者が群衆に影響を与えると考えていました。
他方、ユングはどちらかというと、野暮な母親の元に育った人でした。そして、美しい母をもったフロイトが提唱した「少年は皆母に恋する」を一蹴しました。一時、フロイトの弟子で後継者とさえ言われた時期もありましたが、ユングは自分の個性と興味に従って自分の選択を切り開いていきました。
インドとチベットと中国の哲学に興味を持ち、心を相補的に考えました。互いに影響し合うコミュニケーションを大切にし、意識全体が相補性を持つ、心の旅のプロセスがある、など、東洋的な側面を自分の心理学に取り入れたと考えられます。
フロイトにどっぷり浸かって学んだユングですが、自分の選択で生きていくことを選んだのです。
自分の選択で生きることを大切にしたい、と、セミオーダーの依頼した画家のKさん。
「画家は自分の選択で自由に生きているものなのでは?」と思われることが多いです。しかし、社会的な様々な制約や、自分の環境的制約と戦っているがゆえに、【自由に生きている】ように見えていると言った方が良いかもしれません。
私自身、会社員とのダブルワークから出発して、画家として生きるまでのプロセスをたどりました。
だから、Kさんの話を聞いて、まさに、自分に正直に生きたいが故に、今、勇気を持って戦っている最中だとすぐわかりました。
Kさんは、セッションが終わった後、「今、自分の中がとても自然に柔らかくなっている感じがします。
お話しさせていただき本当によかったです」とにっこりしました。
セッション後に描いた作品では、Kさんの画家としてのユニークな個性を肯定。枠を超える、ことを表現した凹凸による、遠近や陰影、光での変化を大切にしました。
完成した作品を送った後、届いたと連絡がありました。
「初めて観た瞬間に、鳥肌と共にわあ〜っと自然に声が出ていました。
青い薔薇もゴールドの光や優しいピンクとパールの輝きも私自身があちこちに散りばめられているような不思議な感覚になります。
自分に自信を持っていい、これからの可能性が楽しみ!と絵が力を与えてくれます。なかなか言葉がみつからないくらい、素敵な絵をありがとうございました」
Kさんの鋭い感受性にてすでに絵との対話が始まっています。「絵を通じた自己対話、近藤さんの才能を引き出す後押しになります」とお伝えしました。
その後、程なくして、メールが返ってきました。
「描いていただいた絵は、寝室に飾っています。 忙しく揺れることがあっても、絵をみていると自分がそこにいるようで、芯にもどる感じがします。 本当にステキな絵をありがとうございます」