美術って、絵って、なんだろう。
美術大学で学んだのは、<美術の考え方の一つ>では?と疑いを持ったのは、美大を出て10年以上経ってからでした。
そして、その疑いへの答えが、オーダー絵画へとつながりました。
もちろん、美大を出てからも学びを続けていました。絵を描き続け、美術館に足を運んだり、本を読んだりしていました。画廊で友人や先輩とディスカッションもしました。しかし、この時は、「美術とは?」と根源的な問いをしませんでした。
今振り返れば、その理由はよくわかります。美大や画廊、美術館は、つながり合って美術を普及させる役割です。学校で美術教育をして、学校を出た人が作品を販売したり、美術を学んだり発表したりする。さまざまな場にいる、年齢や立場の違う人がスムーズにやりとりできるように、暗黙のルールがあります。
それは、主に一つの視点で美術をみることです。西洋的な美術の考え方をベースに持つことです。では、西洋的な美術の考え方は?というと、西洋の視点に基づき、男性の支配する社会や文化が「こんなふうに作品を読みとりたい、見たい」と望んだ価値観に重点を置いた考え方です。
例えば、1960年台に始まった、フェミニズムアート。これは、上記の視点が前提だからこそ、女性の生活と経験を反映した芸術を作ろう!芸術の歴史と実践での女性の知名度をあげよう!とした運動です。これはわかりやすいですが、もっと重要なのは、私たちが気がつかないようなところまで暗黙のルールの影響があることです。
このことを、美術史を学問として研究する本で知りました。そこで、「やはり、美大で学んだことは、美術の考え方の一つに過ぎなかったのだ」と腑に落ちました。
疑問を持つきっかけは、当時の作品づくりにありました。その頃、インタビューをして創るという方法をとっていました。インタビュー相手は、第二次世界大戦を兵士として戦い、捕虜になり、シベリアで抑留された画家でした。その方は、戦争前、戦争中、戦後で【見え方、感じ方、考え方】が大きく変わることで、強く揺さぶられたと語りました。
そこから、<私たちはいつもある時代、地域、集団の中にいて、それが見方や感じ方、考え方をきめている。実のところ、自由に自分で選んでいない。ほとんどの場合、自分の属するものが受け容れたものだけを選択的に【見て、感じて、考えて】いる>ことを知った時、私は「美術ってなんだろう?」と、思ったのです。
そして、美術業界のベースとなるのが、西洋の視点に基づき、男性の支配する社会や文化が「こんなふうに作品を読みとりたい、見たい」と望んだ価値観に重点を置いた考え方だと知った時、「自分は日本人だし、女性だし、自分で自分の見方を決めよう。美術を自分の価値観で読み解いていこう」と決めました。
その頃はまだ、オーダー絵画を描けるとは思っていませんでした。私にできたのは、画廊から出たところで絵を展示することでした。
とにかく、画廊以外の場所で、発表できないか。いろんな情報を探しては足を運びました。そしてたどり着いたのが、廃校になった小学校で活動する芸術集団でした。
そこは、地元の方と交流しながら芸術の在り方を1から模索していました。地元の方はいわば、地元の専門家です。一方、芸術集団は音楽や写真、現代アートの専門家。場所が元小学校で、地元の方が大切に手入れして年間行事を行なっている場ですから、地元の専門家が格上です。だから、皆でディスカッションをした時は美大や画廊、美術館の常識とは違う考え方に満ちていました。
話し合っていると、美術業界が排除してしまったものは、私の視界にも入ってなくて、感じることも、考えることもなかったのだ、美術ってもっと広い可能性があるのだ、と、身体で感じ取ることができました。
そして、画廊以外の場所で発表したのが、この元小学校の校庭です。地元の収穫祭に合わせて展示しました。収穫祭を楽しむ人だけの展示。それは、ハプニングに満ちていました。作品に興味を持って近寄ってきた子供たちが、最後に作品空間を完成させてくれました。
作品に近寄ったことで、石灰が靴底について、離れる時に足跡がつきました。
想定外の出来事でしたが、人の気配が作品に伝わる場になり、
時間の経過、その場にないものを感じる想像力をかき立てる一期一会の作品となりました。
こうして、自分で考えて美術を読み解いていこうという姿勢が、数年かけて、オーダーというカタチにつながっていくことになります。