『空中散歩(2009)』|本来の命が輝くための絵のコンセプトを探して

/ カテゴリー: 対話できる絵画のもとになる絵たち

「門間さんの絵は、まるで生きているみたいですね」とよく言われます。

抽象的な絵でも「絵が動いている気がします」(!)
「絵からあったかい温度を感じます」(!!)など。

そういった感想を聞くようになったのは、2009年の個展からでした。この頃は、書家、井上有一の本を繰り返し読んでいました。

『我々の日常というものは、ちっぽけな感情に支配されて、あちゃこちゃしているわけです。しかしながら、どんな馬鹿だってとんまだって、そのあちゃこちゃしている奥に、ちゃんと人間本来の命といったものを持っていると思います。神さまがくれたんですからね』

『忘れちゃっている本来の自分というものがよびさまされ、音叉(おんさ)みたいに共鳴してくるということが感動であると思います』

ああ、そんな感動を与えられる作品でありたいな、思っている頃でした。

しかし、美術界は、別の大きな流れができていました。2007年には、デイミアン・ハーストが、頭蓋骨のプラチナ型取りに1400万ポンドをかけてダイヤモンドを散りばめた作品を展示していました。しかも、それは5000万ポンドで売却されたのです。メディアのお祭り騒ぎや市場投資の要素が色濃いアートが全面に出始めた時代。しかし、私は市場投資としてのアートには、全く興味が持てませんでした。

投資としてのアートは、産業革命やブルジョア階級の台頭など、ここ数百年の時代の流れで生まれてきましたが、もっと時代の風雪に耐えうるものに目を向けたいと思ったのです。

例えば、【気韻生動】。5世紀末の南斉の画家謝赫(しゃかく)が「画の六法(りくほう)」の第一にあげました。中国絵画の理想。《古画品録》序の六法の第1にあげられ,対象の生命,性格が画面にいきいきと表現されることを言いました。今でも受け継がれているので、1,500年以上の年月に耐えてきた絵の在り方です。

当時、私は【生命】に強い興味を持っていました。第二次世界大戦の後に捕虜になった方にインタビューをして描いた連作が終わったのです。過酷な中でも自分を見失わずに生きる生命力。それを、新たなテーマでも描きたいと考えていました。

時代の荒波の中でも、人が心の底から生きることを味わうのを助ける‥‥そんなアートでありたいと思いました。井上の本を繰り返し読む日々。魂を揺さぶるものを創りたいなら、『自分の魂を底から揺さぶらなければ創れない』との言葉に、今までの技法を脇に置いて、感じるままに鉛筆や筆を走らせるのが、一年近く続いていました。メインの1メートル以上ある作品は、なんとかコツコツ描き続けてきましたが、小品で「これ!」と思えるものは数枚しかできませんでした。

個展の開催は刻々と近づいています。あと10日、あと5日‥‥。とうとう、絵の搬入まで、あと2日に迫った朝、ふっと「呼吸する壁」というコンセプトが浮かんだのです。

ゆったりと肩の力を抜いて、呼吸する。
穏やかな優しさに包まれるような心地よさ。
そんな感覚を感じられるような絵だ‥‥。

その時、どう描いたらいいかも分かりました!

あとは夢中で筆を走らせ、小品の連作が完成したのは前日の夜でした。
未熟かもしれない。でも、今までの小さな自分を打破できた感覚。搾りたてのフレッシュジュースのような、生気あふれる作品を創れた自信はありました。

そして、幸いなことに、個展は「気持ちいい空間で、リラックスできる!」という感想をたくさんいただきました。さらに、この表現から、オーダー絵画への道がひらけていきます。

その小品を購入した方が「門間さんの絵を飾って、明るく元気になれました。作品は、まるで宇宙のようです。問題を投げかけると、答えが返ってきます。」手紙を送ってくれました。「紹介で初めて画廊に入って、絵を買って本当に良かったです」

この時、私が絵を届けたいのは、こういう人だ、と思いました。買ったらしまい込むコレクターではない。流行を追うアート業界の人でもない。投資目的の人でもない。生活の中に作品を飾って、人生に絵を活かしたい人だ。しかし、どうやら、画廊に出入りしないタイプらしい‥‥。

よし、だったら、自分が画廊を出て、アート業界を出て、その人たちに会いに行こう。会えるための方法を探そう。

それが、私の画家としての新たな方向を定めてくれた出会いでした。だから、2009年に見出した、【呼吸する壁】というコンセプトは、オーダー絵画を描くようになった今でも、大切な表現の一つです。

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