【四重奏:額装|丸いかたちに、つながり、美しさ、地域への感謝など、深く特別な意味を込めた革小物製品専門店 社長Kさん】

偶然が重なって、行こうと思いつつ行けなかった、気持ち良い両国のカフェ、MARUA CAFEに行けました。
さらに、思いがけず木戸麻貴さんにも再会でき、「うん、やっぱり、今日はこういう日だったのだね」と感じました。

木戸さんは、創業100年を超える革小物製品専門店 東屋の社長でもあります。
キラキラした笑顔で、

「今年のカフェオープンでたくさんの良きご縁が生まれています。

カフェで気軽に革小物に触れ、上の袋物博物館にもお越しいただきたいです。
水面が見える場所で、ほっとしていただける陽だまりのような場でありたいのです」
と語ってくれました。

現代的なカフェの原型は16世紀半ばにオスマン帝国のイスタンブールにできたコーヒー店だといわれており、当初は道端で飲むような気軽なコーヒーを提供する店でした。その後、コーヒー店は影絵芝居や踊りなど、さまざまなアミューズメントを集めた場として発展し、世界中に広まっていきました。
例えば、フランスの「カフェ」でさまざまな芸術的議論を交わしていたエコール・ド・パリのアーティストたちは、世界のアーティストの憧れになりました。「フランス革命」の発端は、バスティーユ牢獄近くのカフェで行われていた、人々の議論が発展したものだったといわれています。「カフェ」という空間で人々が文化を生み出し、国を動かすほどの影響を与えた時代もあったのです。

日本では、カフェは明治時代に銀座で登場したのを皮切りに全国に広まりました。現代では、カフェは「社交の場」という本質を維持しつつも、コミュニティスペースとしても機能しています。

創業100年を超える革小物製品専門店 東屋がカフェを開くのは、まさに、今という時代にぴったりだと感じます。

また、木戸さんは、オーダー絵画のセッションをさせていただいていた頃から、「接客が好き。サービス業が大好き。カフェを開いてみたい」と語っていました。「会社を拡大して全国に出ていく、東屋という会社を大きくしていくやり方もあるかもしれません。でも、私は、ここ両国が好き。両国や、その周りの地元が大好きです。そして、大切な人たちと育む、豊かなご縁の中で、人生を大切に分かち合って生きる事業のあり方が、自分に合っている気がするのです」

MARUA CAFÉが《陽だまりのような場でありたい》という、今の木戸さんの言葉と、絵をオーダーしていた頃の言葉が、重なりあって心に響きました。

木戸さんが社長をつとめる東屋は、明治後期に木戸商店として初代が袋物卸業を両国ではじめ、大正になって今の場所へ。
当時の袋物は、江戸時代からある巾着、火打袋、財布、紙入れ、たばこ入れ、守り袋、匂い袋や、西欧文化が輸入されてからの手提げ袋、買い物袋、ショルダー類などがあったとされています。

2代目が継承するも、昭和20年戦死。3代目が継承し、両国地域で唯一戦災を逃れた場所で墨田の地場産業である豚のヌメ革商品の輸出事業を行うなど、革小物製品を作り続けました。その後、4代目が、5代目と共に、50年以上にわたり数々のブランド製品をOEM製作。OEM製作は現在も東屋の主力事業となっています。平成に、袋物博物館を開設。東屋オリジナルブランドも立ち上げ。

そして、第6代目の木戸麻貴さんが、100年を超える歴史、数多くのブランドOEMで培ったデザイン力、職人の技を未来へ継承する志を持って、経営しています。

MARUA CAFEの入り口には、革小物が彩られて、私たちをあたたかく迎えてくれます。
中に入ると、テラスへとつながっていて、キラキラとした河面が見えます。

MARUA CAFÉの名前の元となった、東屋ブランドのまるあ柄は、「気持ちをまあるく笑顔に」という想いが。そして、きらきらした光、雨のしずく、朝もやなど、すみだの川面に映り行く美しい表情をイメージし地域への感謝の気持ちを込めて作られたそうです。

木戸さんにとって、丸いかたちは、人と人のつながりだけでなく、人を取り巻く自然の美しさ、貴重さ、愛おしさ、そして、地域への感謝という深く特別な意味を持っているのが伝わってきます。

木戸さんに描いたオーダーメイドの絵画の額装も丸(まる)でした。
木戸さんにつながる四代の女系家族を抽象的なオーダー絵画にした作品を、たくさんのあったかい想いが詰まった丸いかたちで包み込む‥‥、美しいハーモニーです。

両国地域で唯一戦災を逃れた場所にある、カフェも博物館も、とっても良い気に満ちて、気持ちがいいです。
さまざまな縁を繋いで、今までも、そして、これからも‥‥、深く豊かな時を刻んでいきます。

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