
この絵は、15年以上前、私が初めて人にヒアリングして描いた作品です。
ヒアリング、というと、「情報収集」と言う意味です。
今思えば、始めたときは軽い気持ちだったな、と思います。しかし、はじめてみたら「真にヒアリングするということは、歴史背景まで読み取ることだ」と衝撃を受けました。
振り返ってみれば、この経験が、オーダーで深く話を聴く大切さを教えてくれました。
ヒアリングは、絵を描く中で自分を深く見つめてある体験をしたのがきっかけでした。深く感じて絵を描く繰り返しで、いわゆる禅体験をします。
そのとき、「時代の違う人で、同じような体験をした人から話を聴きたい」と思いつきました。しかし、私は、禅体験を共有する以前に、ヒアリング自体に躓くことになります。
私は、極限を生き抜いた表現者ならきっと同じような禅体験をしていると考えました。そして、第二次世界大戦を生きた人がいいと思いました。確かに、禅体験について話をきくには良かったのですが、私は人が持つ歴史背景を甘く見ていました。
最初に、相手を知ろうとすること。相手が大切なことや重要なことを同じように大事にすること。今回で言えば、戦争を体験していることへの敬意を払う。これが、ヒアリングの第一歩だと考えました。
すると、
Mさんは、日本への誇りとものづくりの尊さを語りました。
Yさんは、欧米への憧れと購買の楽しさを語りました。
わずか十歳ほどしか離れていません。しかし、考え方が全く違うのです。このとき、私は二人の差が戦争での年齢の差だと気が付きました。
Mさんは、大人として戦争を迎えました。一方、Yさんは、子供として戦争の中で育ちました。背景が違うのです。
Mさんにとって、戦前の日本文化が原点でした。多くの人が、皿や箸を自分で作り出すことができたそうです。そして、その器用さは、戦争中、ものがない時に生きるためにも欠かせない技術だったと語りました。
Yさんも、子供時代に戦争を体験したのですが、どちらかというと、戦後入ってきた欧米の華やかさ、お菓子など手に入るものが増えていくことが強烈だったと語りました。「アメリカってすごい」と素直に感じたそうです。
Mさんが、戦後日本を気楽で幸せだと感じると共に割り切れなさも心の底に抱えているのに、Yさんは戦後を素直に喜んでいる。
戦後を全く違う想いで語る2人。「この日本で良かったのか」「この日本でいい」この話を同時期に聴いていた私は、正直なところ、「自分は日本をどう捉えるのか」と突きつけられているような気がして、一年ほど混乱しました。
しかし、話を聴き続けるうちに、気がつくことができました。
ヒアリングで大事なのは、「私がどう思うか」ではなく、相手の想いに寄り添うこと。相手の心深く聴くのに徹することなのだと。
「相手の言うことを正確に聴いて、次に、聴いたことを正確に理解する」と、カウンセラーの吉田哲氏が言っているように、想いを受け止めることが出発点になるのだと気がついたのです。
正確に聴くことができているのかどうか。人間だから、好不調や、気づかない隙間もあるだろうと思います。でも、不完全な存在なことを認めながら、いつも、真に「聴く」ことを目指すのです。
今、オーダーでは、ヒアリングではなくセッションと呼んでいます。あなたとの特別な時間、という意味が込められるように感じるからです。
この時描いた作品は、二人の手をモチーフに、ヒアリングでの無数の言葉を絵に書き込んでいます。今ならば、色や形に置き換えることができるでしょう。でも、このときは、まだそれができませんでした。
しかし、言葉と絵が組み合わさった独特の作品となっています。そして、何よりも、ヒアリングとは何かを教えてくれた、大切な時間が刻み込まれています。
