春の空気|2人の両極端な画家から「仕事や人生の意味や価値を与えてくれるものは何か?」を考える 

/ カテゴリー: 対話できる絵画のもとになる絵たち


 
どんな方法で絵を描くか。
それは、人生やビジネスにもなぞらえることができます。
 
画家という仕事柄、いろんなタイプの画家を知っていますが、ここでは、私が影響を受けた両極端の現代画家を2人取り上げます。両極端ですが、プロセスを大事に生きているのは同じです。そして、彼らは、<自分の>人生やビジネスを全うしているのを感じさせます。
 
現代美術の最前線で活躍する村上隆。今、大規模な個展を、開館90周年を迎える京都市京セラ美術館で開催しています。
かつて村上隆が企画した展覧会「スーパーフラット(Superflat)」は、2000〜2001年にかけて日本とアメリカの各都市を巡回、展覧会とともに発表された「スーパーフラット宣言」は、現代美術シーンに重要な影響を及ぼしました。
 
この頃、私は色々な画廊やアートフェアに足を運んでいましたが、上記の宣言以前は「村上隆なんか」と影で言っていた画廊も手のひらを返したように次々取り扱うようになった、という生々しい話を聞きましたし、実際、一斉に村上隆の作品がいろんな画廊に並び出したのをリアルタイムで見ています。
 
実は、村上隆の作品は禍々しさを感じるエネルギーがあり、嫌いですが、彼がアニメ好きなことや、工房を構えて描いてもらうのが向いており、欧米での金銭的な成功への興味があることなどの、自分の個性を徹底的に磨き上げているのを、心からすごいと思います。
 
 
もう1人は、井上まさじ。東京で個展を開催している頃に、本人と作品に出会いました。井上は、北海道で自給自足に近い生活を送っていました。修道僧のような生活に、東京の画廊主は「ある種狂っていなければあんな生活はできない」と言いました。一方、井上は「金銭が中心でまわる作品やアートマーケットが狂っている」。
 
井上は、その言葉通り現代アートマーケットの流行に無縁の、北海道の画商と親しくなっていったと聞きました。そして、その後、結婚したと聞きます。同志のような人と北海道の地で過ごす時間は、豊かであったと聞きます(最近、相手の方が亡くなりました)
 
私は、井上のように地方で自給自足の生活はとてもできませんが、井上の静謐な作品に惹かれます。大自然の中で、自分自身と自然と向き合い、己の感覚を信じ、信念を貫く精神の強靭さに心から敬服します。
 
 
彼らの絵に対する考えも活動も、経済的な立ち位置も、全く違います。しかし、ともに、仕事や人生の意味や価値を与えてくれるのは、「<自分自身>が、意味を求め、価値を置いたものを、現実の中で行動すること」だと、そして、毎日積み重ねるプロセスだと教えてくれます。
 
 
私は学生時代から、存在やエネルギーをテーマに描いてきたので、画家の在り方にも強い興味を持ってきました。
 
上記の2人をはじめ、さまざまな画家やその作品と交わり、「自分の人生を全うするのには、人の評価や金銭的な大小より、自分の個性をどう引き受けて生きるかの方が大切」だと感じています。
 
 
特殊なオーダーメイド絵画【対話できる絵画】で、クライアントと話す中で、時に、生き方の話になることがあります。私自身も会社員をしながら画廊に出入りする試行錯誤を経て、特殊なオーダー絵画を描いているので、クライアントの話を聞く中で、寄り添って「その人の意味や価値」を一緒に探すことも少なくありません。
 
私自身も、自分の個性を引き受けて日々、どう生きるかを考えながら絵を描いています。
 
今、都立大で科学研究の視点からオーダー絵画を考える機会を得ているのも、学生時代からの「存在」「エネルギー」を追求するプロセスを大事にしたいと思っているためです。
 
一見、オーダー絵画を描くこととかけ離れている科学研究ですが、指導教授や同じゼミ仲間からの鋭い問いかけが、絵の前に立つ心構えにも良い影響を与えてくれます。
 
今日の作品は、絵を描く研究のために日々描く絵より、『春の空気』です。

関連記事